慶応3年(1867年)〜昭和2年(1927年)
名は寛、白陽は、号で、現在の大分市の生まれ
帆足杏雨に、南画を学び、福岡や京都を遊歴、大正年間には東京に住んで作画を行う。
明治30年代に、度々当山に長逗留をして、当山の襖、障壁画等を描く。
松浦山水図(部分)
牡丹、木蓮図
牡丹、木蓮図 部分
桜に鷹図
梅に鷲図
避邪招福図
渭水山水図
大広間に飾られた松浦山水図
鹿図部分
梅図 部分